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【特別寄稿】テキスタイルの製造現場を訪ねて – 遠州浜松、とある染工場から聞こえるブランドの産声。

アパレル業界は、いま冬の時代を迎えている。

2016年6月に経済産業省が発表した「アパレル・サプライチェーン報告書」によれば、2015年までにアパレル製品の国内供給量は、なんと全体の3%にまで落ちてしまったそうだ。

今日、私が身に纏っている衣服もまた、人件費の安いアジア圏で製造されている。そして、トレンドといえば聞こえが良いが、どこでも見かけるようなデザインかもしれない。このような現実を知れば、冬の時代という呼び方も、まだ優しさが残っているようにすら思える。

この厳しい環境下でも、大恒株式会社が企画するブランド『DK』は、業界では異例ともいえる成長力を見せている。この成長力の源泉に触れるために、私たちはDKブランドの生地製造に携わる、浜松市内のとある染工場を訪れた。

職人のプライド

2018年8月某日、誰もが異常気象だと口を揃えるほどの暑い日。染工場の中は轟々とした機械音と、肌にまとわりつくような熱気に包まれ、ここに足を踏み入れてから5分とたたないうちに、私の肌にはうっすらと汗がにじんでいた。

工場内を歩きながら、私はひとつの発見をする。
町工場といえば(失礼ながら)年配の職人が多いものだと勝手に思い込んでいたが、この工場では、どうやらそうでもないらしい。若い人が多く、女性の姿も目立っている。

若いチカラが成長力の源泉なのか、それとも、成長力の源泉に若いチカラが集まってくるのか。どちらにしても、若き職人たちが額に浮かぶ汗をぬぐいながら生地の製造に取り組んでいる姿が、私の興味を引いたことは間違いない。

「いらっしゃい、でも語れることなんて大してないよ」。

染工場の社長は、私たちを出迎えるなり、そう微笑みながら椅子に腰かけた。その所作と声のトーンだけで、この社長が染色加工という世界の、吸いも甘いも噛分けてきた熟練の職人であることが理解できた。

DKブランドの生地製造において、どのようなこだわりと苦労があったのか、一言でもいいから聞かせてほしい。私たちの問いかけに対して、経営者と職人の2つの顔を使い分けながら、社長はこのように話してくれた。

「DKブランドの良いところが何かといえば、一般的な生地と比べて風合いの良さや、天然素材の良いところを残しているところだ。でもね、ここまでたどり着くには、試行錯誤や、創意工夫といった技術の積み重ねが必要だった。たとえば、工場の機械はスタンダードなもの。だからこそ難しい。ずっと使い続けていればどこかでトラブルが起きる。そのメンテナンスのさじ加減も、今までの経験からの積み重ねによるものだよ」。

社長の言葉を借りれば、およそ10年の月日をかけて作り続けているものを一言で表すのは到底難しいらしい。その言葉からは、繊維の町で生き抜いてきた職人としてのプライドが見え隠れしていた。

偶然と必然のバランス

ところで、『偶然性から生み出される唯一無二な表情こそ、DKブランドがファッションデザイナーから支持を集める大きな要因である』ということを、私は取材の前から知っていた。そして、この『偶然性』こそ、競合他社が決して真似ができない大きな特徴であるということも。

そのことについて触れてみると、すかさずこのような答えが返ってきた。

「偶然に生まれたものは、半分は芸術や民芸品という括りになってしまう。私たちは商業ベースでやらなければいけない、偶然と必然の境目が重要だ」。

しかしながら、偶然性を保ちながら商売として成立させるためには、DKブランド側からの厳しい要求や、ぶつかり合いもあっただろう。社長は柔和な表情を一変させ、真剣な面持ちでこう語った。

「お互いに良いものを作っていかないと。甘くやってたらすぐ駄目になってしまいますから。これはもう厳しくて当然だと思います」。

その眼差しからは、声には出さなくとも “我々は単なる下請けではない。DKブランドのパートナーであり、プロフェッショナルである” そんなプライドと、双方の信頼関係を容易に感じるとことができた。

失敗と進化を経て

DKブランドの記念すべき最初の製品、『ヴィンテージ』。はじめてヴィンテージの製造に取り組んだ時の苦労話を聞いてみた。

「苦労はいろいろあったけれど、たとえば染色にも『足』がある。ベージュを作りたいときには3つの染料を調合するが、足が速いもの、遅いものの足並みを上手く揃えさせて染める。
一斉に染める手段もあるが、そうすれば風合いが悪くお客様の要望には答えられなくなってしまう。
しかも、綿花の種類や、その日の気温といったほんの些細なことで色が変わってしまう。ヴィンテージが出来上がるまでには、そんな失敗の繰り返しだった」。

失敗を繰り返してきたから、今がある。

失敗の歴史は、進化の歴史だ。DKブランドと染工場が協力しあい、二人三脚で進化してきたからこそ、誰かがやろうとしても真似することが出来ないオンリーワンな製品が生まれたのだという。

非合理を認めるという革命

この取材に同行してくれた大恒株式会社の大村代表は「染工場の社長がこういう感覚になってくれた。非合理を受けいれてくれたということ自体が、生地商の我々にとって、とんでもない革命だった」と語った。

一見すると非合理的に思えるやり方にも、意味がある。

染工場の社長によれば、競争力を高めるためには『手の仕事』をいれることが重要だという。手の仕事とは、ただ手を使うだけではない。作業ひとつひとつを見ながら、状況に応じて『加減』を加えることだ。絶対的なマニュアルなど存在せず、そこには経験と技術、感のよさ、そして情熱が必要とされる。

丁寧な手仕事をもって作られた生地は、やがて洋服になっても「主張」する。魅力的な生地は、洋服を『作る人』も『着る人』も、どちらも幸せにすることができる。

そう信じているからこそ、この染工場で働く人々はみな誇り高く、ひたすらまっすぐにDKブランドの製品を作りつづけることができるのだ。

大恒株式会社の信念と、遠州浜松の染め職人たちの気概が合わさり、アパレル冬の時代に小さな芽が生えている。私の眼には、いまハッキリと、その景色が映っている。

2018.08.28